2011年12月14日水曜日

『啓蒙とは何か』 カント、中山元




超ヘヴィ級哲学者カント。

ちょっと権威みたいになっているし、「散歩の時間が正確過ぎて、近所の人がカントの姿を見て時計を合わせた」とかいうネタが有名過ぎて、堅物の頑固じじいのイメージだったけど、実際に読んでみると全然違った。
書いてるものは堅物どころか、めちゃくちゃぶっ飛んでて、アグレッシヴな内容が多いのだ。

この本はそんな自由過ぎる熱い男が自由闊達に社会について語った論集。
『永遠平和のために』もすごく面白かったけど、今回は『啓蒙とは何か』だけ紹介。


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啓蒙とはなんなのか?

「古い宗教を捨てて、自然科学や近代的な人権思想を学ぶこと」だと思うかもしれない。

でもそうじゃないんだと。

もしそうなら、今まで宗教に思考停止していた人が、今度は科学や人権思想に思考停止するだけで結局何も変わっていないじゃないか!とカントは言うのだ。


世の中には
「君達は頭が悪いから考える必要はない。私が代わりに答えを教えてあげよう。」
というなんともご親切な自称<後見人>がたくさんいるだろう。

だから多くの人は、できることなら自分で考えるなんてしない方がいいと思っている。

その方が安全で楽だからだ。

「人類の長い歴史で蓄積されてきた学問にはとてもじゃないけど勝てない、ただその教えに従うだけだ。自分の理性を使うなんてとんでもない!」
と思ってしまうかもしれない。

でも、そんなことはないんだ、とカントは主張する。



なぜなら人間には誰もが平等に、生まれつき(アプリオリに)、<理性>という力を持っているからだ。
(でなければ、複数人の論理的一致がありえなくなってしまう!)


だから自分の理性を使っておかしいと思えばどんな権威でも恐れることなく、公に異議を唱えればよい。
最初は理性の使い方に慣れないために、つまづいてしまうかもしれないがすぐに一人で歩けるようになるだろう。



だからカントはこう定義する。

啓蒙とは何か。

啓蒙とは勇気

書物にも学問にも宗教にも頼らない、ただ自分の理性を使う勇気なのだ。